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汚い食べ方

「食べ方が汚い女優」という記事がネットに載っていて、
気になって読んでみたら、

「口の周りに食べ物を付ける。」
「大口を開けて口いっぱいにほうばる。」

「迎え舌をする(=朝鮮食い)のが汚い。」と、
若手の女優の名前が挙がっていた。

すぐに気づくのは食べる時の姿勢だが、
口への運び方や咀嚼の仕方、

食べ物のほぐし方や食べ跡の処理といった見た目の悪さ、
箸の持ち方なども重要な点として挙げられていた。

関連して、
「ダルビッシュの箸の使い方が酷い」という記事もあったので、
つられてついでに読んでしまった。

ネットのお節介な”傍観者達”からは、

「正しい箸の使い方ができないのは日本人として恥ずかしい」
「親がちゃんと教育してなかったんだね、かわいそう」

「箸の使い方には色んなマナーがあるし、
それができないのは大人としてどうなの」などと、

さまざまな意見による攻撃があって叩かれていた。

当然、
当人はへこむのかと思ったら、

ダルビッシュは負けじと、
「ちなみに俺の箸の持ち方。よくないのはわかるんやけど、

『正しい持ち方』ってのが昔から使いづらすぎるねん。
これが令和のスタンダード。」

「マナーは要らないなんて言っているんじゃなくて。
『正しいマナー』なんて価値観、人それぞれなんだから、
自分の正しいを大事にすればいい。

自分の正しいとは違うことをする人に批判するなということです。」と、言い返したという。

さあ、あなたならこれをどう考えるだろうか。

ダルビッシュのような考え方で、
人々がそれぞれ自分の好きな箸の持ち方をしだしたら、

日本中で正しい箸の持ち方なんか誰も気にしなくなることでしょう。

つまり、
「正しい箸の持ち方」というものには歴史もあって、
一定の形が存在していて、

個人の好みによって左右されるような、
不確かなであやふやなものではありません。

整然と文化として引き継がれて定着している、
食事の所作の基本となっているものです。

だから、
赤い服が良いとか、青い服が好きなどという、
個人の好みで良し悪しが決まるような問題では無いわけで、

そこを勘違いしてとらえると、
「人のことは放っとけヨ、好きにさせろ!」と言いたくなるのだろうけれども、

やはり、
正しい躾けを受けなかったという事実はあるわけで、
親が不名誉なことに変わりは無いのです。

だから、
持ちにくくても、いずくても、
面倒がっても、反発されても、

箸の持ち方は覚えるべき時期に、
親はしっかりと子供に覚えさせなきゃならないわけです。

そうしないと将来、
本人が恥をかき、
その人間の親だということで親も恥をかき、

ひいては、
親が正しく箸を持てない親だということで、
自らの子供にも屈辱的で恥ずかしい思いをさせることになります。

ダルビッシュ選手がどれほど凄い選手なのかは、
野球に素人の私にはよくわかりません。

大リーグから高く買われる選手なのだから、
まれにみる才能あふれる野球選手なのは間違いが無いのでしょう。

しかし、
そんなことは起こらないと思うのだが、
私が彼と一緒に食事をすることがあったとしたら、

その酷い箸の使い方を目の当たりにしたら、
おそらくひどく不愉快に感じるし、気まずくなり、

気分が悪くて、
二度とこの男とは食事をしないと密かに心に決めることでしょう。

才能と人柄は別物だと、
私も十分に分かっています。

躾と人柄も別物だとも、
確かにわかっているつもりです。

しかし、
いかに才能あふれていてセンスが良く、
誠実で、優しくて、ユーモアたっぷりな人だとしても、

汚い食べ方やひどい箸の持ち方、
這いつくばった姿勢や止まない食べこぼし、

口から飛ばしたり、食べ散らかしたりするような人間とは、

自分が惨めになるだけなので、
一緒に食事をするのは避けるだろうと思うのです。

「どんな食べ方だって、おいしく食べればいいんだ。」とか、
「そんなことをいちいち気にしてたら、食事がうまくない。」とか言われたら、

私ならできるだけ顔に出さないように努力はするけど、
いつの間にか相手に同情してしまってることでしょう。

そして、お互いのためにも、
二度と一緒に食事はすることは無くなるのです。

それほど食べ方の汚さからくる不快感とは強烈なものなのです。

前回の言葉の汚さにも通じることだが、

「汚い」とか「下品だ」と非難する側が感じる不快感というのは、

「別にいいジャン」、「ウルセーヨ」、
「ほっといてくれ余計なお世話だ」と応じる側には、

想像もつかないほど汚く映る世界なのです。

開き直る気分も分からないではないが、
悪いことは言わない、やっぱり負けを認めて、

見た目よく食事できるように遅ればせながらなおす努力した方が、
自分のためだと思うのである。


ではまた、
よろしくお願いいたします。<(_ _)>

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「お」を使わない人種

あけまして おめでとうございます

令和二年が いよいよ始まりました。

多少の心境の変化もありまして、
例年にも増してブログの記事を、
より攻めたものにしていきたいと考えています。

そのため、
言葉が多少きつくなるかもしれませんが、

良いことは良い、悪い事は悪いと、
今までにも増してはっきりとした表現でいきたいと思います。

では、今年もよろしくお願いいたします。



「お肉」と「肉」・・・・「お野菜」と「野菜」。  

「お金」と「金」・・・・「お隣」と「隣」。 
   
「お時間」と「時間」、「お食事」と「食事」。

「お名前」と「名前」、「おこづかい」と「こづかい」。

「お礼」と「礼」・・・・「お手紙」と「手紙」。

「お体」と「体」・・・・「お気分」と「気分」。

「お年寄り」と「年寄り」・・「お客」と「客」。

「お気をつけて」と「気をつけて」

「お手数をおかけします」と「手数かけます」。

「お」を付けてしゃべるのは、
看護師さんか丁寧な店員さんだけの事だと思っているなら大きな間違いだ。

文字にすればひらがなたった1文字なのだが、
そこには大きな価値と影響力があって、

何回か言ってみればわかるのだが、 
あると無しとで見える景色は全く違ったものになっていく。

」を付けて話すのと付けずに話すのとでは、
ニュアンスが違い、話す人から受けるイメージもかなり違うのだ。

別にそれが特別に上品だというわけではなくて、
私の感覚だと±0の平均値という感じなのだが、

4,50代がらみのおじさんでもない限り、
ガキや若い女性が「お」無しで話した場合には、
明らかにイメージが大きく違ってくる。

蓮っ葉で、下品な母親に育てられた不幸な子供は、
小さなころから当たり前にそういうぞんざいで野卑な言葉づかいになり、

成長して大人になっても、
男なら「多少やんちゃな言葉づかい」と思われる程度で済むかも知れないが、

女性の場合なら、
簡単に母親と同じ「蓮っ葉で下品な女」のイメージが出来上がってしまう。

いつも言ってることだが、
言葉の使い方は生活の全てのニュアンスに通じていて、
生活全般の雰囲気へと波及する。

それは、
話す時の気分からして違っているからで、
即物的で、ぞんざいで、素っ気なく、

粗野で粗削りな感性の雰囲気を、
どうしても日常の中に形作ってしまうのだ。

いざ結婚という年齢になって、
相手の実家を訪れ、ご両親と対面した時に、

丁寧な言葉づかいの女性の父親なら、
こんななめた口の利き方をする若造を簡単には歓迎しないだろうし、

その場を上手く取り繕ったとしても、
言外の雰囲気で既に正体がバレてしまうだろう。

逆に、
相手がこんな蓮っ葉な女性の父親なら、
推して知るべしで、何の違和感も生じないだろうし、

元々、こんな口の利き方をしている女性には、
たいして上品な男性が近づいてくるとも思えないので、
何の問題もないことだろう。

そして、
結婚して出来上がる家庭の雰囲気は推して知るべしで、
子供はガキの頃から「ぞんざいで、なめた口を利く子」として育ち、

この連鎖は、どこかで誰かが気づいて強くたしなめるまでは治らない。

上品で厳格な祖父か父親(舅)、或は、母親(姑)に、
しっかりと、はっきりと、たしなめられるまでは治らないのだ。

私の場合で考えるなら、
大学のコンパの相手か、
職場の同僚程度ならばまだ我慢もし、口も利くが、

個人的な付き合いなどは論外で、
相手に気づかれないようにできるだけ遠ざかり、

打ち解けた話などは金輪際する気にはなれない。

しかしこれは、
けして自分が上品だというつもりで言ってるわけではなくて、
単に信頼感や好感度が損なわれてしまうと言ってるに過ぎない。

「偏見だ」とあなたが言うのも分かる気もするが、
生活態度全般にそうしたぞんざいな無神経さが出てくるとすれば、

服装も食習慣も考え方も物事への対応も、
多かれ少なかれそんな雰囲気になるのは、
当然といえば当然の結果なのだ。

だから、できれば母親なら、
赤ちゃんを抱いている今のうちに何度も言ってみて、

父親なら若者でいるうちに、
「お」抜きの雑で素っ気ない言葉づかいを意図的に治すように、
考えてもらいたいと願うのである。

そうすると、
「お願い」と「頼み」・・・・・「御飯」と「メシ」。
「おいしい」と「うまい」の違いも次第に分かってくることだろう。

個人的な話で恐縮だが、
焼き肉とかお寿司を食べた瞬間に、

「おいしい!」とは言わずに「ウマい!」なんていうガキを見ると、
私は内心、張り飛ばしてやりたい衝動に駆られるのだった。


ではまた、
よろしくお願いいたします。<(_ _)>

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命の責任

「勝手に産みやがって!」という言い方がある。

安手のドラマの中で、
悪タレの子供が親に向かってよく言うセリフだ。

しかし、
世界中の母親の中で、
子供を勝手に生んだ者などただの一人もいない。

私はそう断言する。

子供というのは誰しも、
”産んでほしい”と両親に懇願して生まれてきたのだ。

自分の魂をより強く鍛えるために!

是非とも”人生という舞台で過ごす”チャンスを与えて欲しいと、

父と母になる者に(生まれる前に)願い出て、
許可を得てはじめて命をいただいて生まれることが出来たのだ。

「そんな話、信じられるか。
    どこに根拠がある?」

「生まれる前のことなんか、どうしてわかる!」と、

多くの人は疑い、噛みつくかもしれない。

確かに、そう言いたくなる気持ちはわかる。

しかし、
人生という名の「命」は、
そういう風に与えられるのだから仕方がない。

「非科学的だ!」

「似非宗教の、出まかせだ!」という声も聞こえてきそうだが、

それが真実であるという唯一明確な証拠といえば、
「そう考えるのが、最も自分にとって厳しい道理である。」からだ。

そこには、
一切の甘えも、曖昧さも、逃げ道もない。

全ての責任は自分に有り、
誰しも自分のために望んで生まれてきたのだ。

だから、「」というのは、
他人のせいになどできない、

言い訳など一切通用しないし、許されない仕組み。」なのである。

親が勝手に赤ちゃんを可愛がりたくて、
子供を産んだと思いこんでるならそれは大きな間違いで、

たとえそう願ったところで、
子供が全くできない夫婦など、
世界中に数えきれないほどいる。

つまり、
親の願望がそもそもの始まりではなく、
子供自身の”生まれたいという意志や願い”が、
「命」の始まりなのである。

だから、
親がいくら人生に絶望して死にたくなったからといって、
取り残されるのが不憫だと、

勝手に子供を無理心中の道連れに誘うのは、
親の勘違いの中でも最たるものなのだ。

「自殺」は勿論のこと、
自分の責任(=命)に背く行いや考え方というのは、

当たり前の話だが、
全て”人としての生き方に反する所業”ということになる。

例えば、「責任転嫁」。
例えば、「保身」。
例えば、「嘘や偽証」。
例えば、「不誠実や背信行為」。

この場所は全てが自己責任から生じた(=始まった)時空間世界で、

その意味で「命」は、
究極の自己責任』と言える。

だから、
「勝手に産んだ。」だの、
「(人生が)苦しみばっかり。」だの、
「(生きてる)意味がわからない。」だのと、

苦労を他者(両親・社会)のせいにしたり、
意味がわからないと責任のがれするのは、

人生をいただいた命の契約に反することになる。

これは至極、簡単な理屈である。
誰も人生の責任からは逃れられない。
 なぜなら、全ては自分で望んで始めたことだから
。』

人生という長い道筋に次々と起こりくる悲喜劇や苦難の数々は、

それを目指して自ら望んでここへ裸で飛び込み、
自分からはじめたことなのだ。

「そんな理屈は、非科学的だ!」と誰に息巻いたところで、
広がる大地と大空に吹き渡る風達には何の責任もない。

そんなことは、
もっと早くに気づいて良かったはずなのだ。

いや、鋭いあなたなら、
本当はとっくにそのことに気づいているかもしれない。

そこからは自分が取り組むべき様々な事柄が見えてくることだろう。

あなたしか出会わない苦難は、
あなたしか出会えない試練である。

それこそがあなたの生まれてきた理由であることに気づければ、

正直に、誠実に、人生と真正面から向き合い、
精一杯ひたすらに努力を重ねることが、

幸せになるための一番の近道であることに、
思い至る事が出来るはずなのだ。

しかし、時には自分では十分そのつもりであっても、
必ずしも幸せな結果に辿り着かないこともある。

その場合には、
どこかで選択や手段、幸せの解釈を誤ったか、
より厳しい人生を選んで生まれてきたからなのか、

あるいは、その苦悩自体が、
元々あなたの目指した挑戦だったからだと言えるのかもしれない。

とにかく、
いくら人生が苦難に満ち、苦悩にあふれていたとしても、

「勝手に生みやがって」という言葉だけは、

人として一番恥ずかしい、
言ってはならない無責任な言葉である事には間違いないがないのである。



もう一度言う。

苦労に直面した苦し紛れに、
「俺(私)を、勝手に生みやがって!」と思ったり、

あるいは、
「(親として)子育てが大変で、やってられない!」と受け止めるなら、

その瞬間に、
自分の人生を否定することになる。

あなたが、
どう考えても自分が望んだ人生だとは思えないとしたら、
どこか受け止め方を間違えているのだ。

こうした考えをあなたに全て信じてもらえるとは思っていないが、
ぜひとも頭の隅に置いておいてもらえるとありがたい。

「全ては自分から始めたことなのだから、
 やり通す覚悟をして、
 最後まで自分でケリをつけなきゃならない。」と。

ただ、気をつけなければいけないのは、

これらを直接、子供に語って聞かせても、
到底子供の側では幼くて理解ができないことだろう。

懇切丁寧に話したところで宗教的な妄想か、
体の良い言い訳に過ぎないと思われるのがオチである。

これらの考えはあくまでも、
親が胸の奥底にじっと閉まっておくもので、

子を愛するが故に黙って悪態を聞き流して見守るのが、
親として唯一できる事なのだということも、

同時にしっかりと覚悟しておかければならないのである。


このお話は、基本的な考え方でもあるので、
・左上の親子の「第四原則」(命の理由)として常掲することにします。

次回、お会いするのは令和2年のお正月になる予定です。

どうか、良いお年をお迎えください。

ではまた、
よろしくお願いいたします。<(_ _)>

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「不快感」が教えてくれる

私は、
伸びた白い爪のついた自分の指先を見るのが不快で嫌だ。

他人の指も含めて、
そんな指先を見るのは気持ちが悪い。

だから、
そう見えたらすぐに爪を切るようにしている。

別に衛生観念が発達しているからでもないし、
「不潔」に感じるからでもない。

自分で見ても「不快」に感じるのだから、
おそらく他人もその指先を見るのは不快だろうと思うし、

その不快さを不潔さに感じられたりするのも嫌だから、
「恥ずかしくて」すぐに爪を切るのだ。

つまり、
爪を切るきっかけはあくまでも「自分が不快」だからで、

それは子供の頃から、
爪が伸びた自分の手をあまり見ずに過ごしてきたからなのだろう。

伸び始めるとすぐに母親に切られるか、
自分で切るように言われ続けた。

そのため、
白く伸びた爪のついた指先をあまり見る機会が無かったし、
見るとどうしても不快に感じるのだ。

同じように外から帰ったら必ず手を洗うのは、
汚れているのを“実感”するからではない。

大人になっても外から帰って手を洗わないと、
汚れている感じがしていつまでも気持ちが落ち着かず、
その思いが「不快」だからなのだ。

それは長年の習慣で、
それを実行しないと不快感がどうしても続くからに過ぎない。

また、
買ってきた食料品はいくら疲れていても、
ちょっとの間でも玄関の上がりかまちや、
キッチンの床に直接置くことができない。

それも、
「食べ物は床に置くな。」とずっと母に言われて育ったからで、
置いたからといって別に汚れるわけではないのは自分でもわかっているのだ。

「落ち着かない。」
「恥ずかしい。」
「気が気でない。」
「みっともない気がする。」
「カッコ悪い。」

そういう不快感が実際の原因であり、理由なのだ。



先日、地下街の蕎麦屋に入った。

店内がひどく狭くて、
他の客とかなり近い席ばかりだった。

自分の蕎麦が運ばれてきて食べる段になって、
はじめて気づいたことがある。

そういえば隣のカップルも反対側の女性達からも、
後ろの二人ずれからも、

どこからも、
「いただきます」の声が聞こえてこないのだ。

言ってはいるけど他人に聞かれるのは恥ずかしいから、
私には聞こえないような小声だっただけなのかも知れない。
(※けして、他人に聞かれて恥ずかしいことでもないとは思うが、、、。)

そうならいいのだが、、、。

私は、
ただ習慣で「いただきます」と言う。

逆にそう言わなければきっと落ち着かず、
食べ続けても何かし忘れた気がして、

自分が不作法で、野卑な感じがして、
みっともなく感じてしまうだろうことがわかるのだった。

その時は妻と一緒だったから妻に辛うじて聞こえるように言うことになる。

別に小学生じゃないので、
大きな声で『いただきます!』などという必要はない。

別に妻が作ってくれた蕎麦ではないのだが、
自然にお互いに「いただきます!」と言ってから箸を持ち食べ始める。

つまり、
言わないことによる「不快感」がそうさせるのだ。

また、
自分の蕎麦だけが先に届いたからといって、
一人で先に食べ始めるということもできはしない。

そのために、
どんな食堂やレストランでも客の料理は、
できるだけ全員分が同時に出てくるようにしてくれる。

そんな風に自分の中にすでに習慣になっていることは、
それをせずにいるとどうしても「不快感が止まらず」にいたたまれなくなる。

それが「躾け」というものなのだろう。

挨拶だって、手洗いだって、
整理整頓だって、言葉づかいだって、

要は、
当人の不快感に対する反応のなせる業でしかない。

逆に言えば、
不快感を感じる程に習慣化してしまえば、

その感覚が身について、
他人がうるさく言わなくても、

たとえめんどくさい事でも、
本人自身が耐えられなくなる。

当たり前の事だが、
人間は不快感を避けるように行動する生き物だから、

子供に大切な習慣化(躾け)が本当に身に付いてきたか否かは、
しつこく、うるさく言わなくてもできるようになる様子がバロメーターとなる。

確実に身につくまである程度の時間がかかるものだが、
繰り返し続けながら子供の様子を観察していると、

意外とあてどなくイライラとしなくて済むのかもしれないと思うのである。


では次回もまた、
よろしくお願いいたします。<(_ _)>

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表現の自由

この頃は、愛知トリエンナーレで、
「自由だ!」・「不自由だ!」と喧しい。

だから、
たまには自由について考えてみようと思う。

「自由」という意味では、
人間の考えることは元々限りなく自由である。

それは、自由であるというよりも、
「天衣無縫」という言葉もあるが、

その人間の心が特定の思想や宗教・価値観に、
自由度や発想が毒されていない限り、

人間の発想力の地平線は、
それこそ元々無限の広がりをもっている。

それが時に猟奇的であったり、
動物的であったり、

エログロナンセンスであったり、
あるいは低劣下劣であったり、

非人間的であったり、
反社会的であったりしたとしても当然のことで、

その発想や閃きには限界など元々ありはしない。

だから、人間の発想に対して、
「自由」という言葉を当てはめても意味が無く、
本来的には適切でもなく筋違いでさえある。

元々、
制約するものなど無い縦横無尽・天衣無縫なもので、

人間の頭からいったいどんなものが生み出されてくるかは、
誰にも予想などつかない。

才能の埋蔵量によって、
どこまで独創的に発想を広げるかは、
創造主である神さえも制御することは出来ない。





だが、人間の心から、
どんなものが生み出されるかわからないという事と、

そのアイディアを、
実際に「実行に移す」とか「形にする」。

あるいは、
「展示する」というのはまた全く別の次元の問題だ。

例えどんな発想が生み出されたとしても自由だが、

それを生み出した者(作者)の属する、
「社会」なり「組織」なり「集団」は、
※例えば、社会=町・市・県、組織=日本国、集団=日本民族。

自らの属する社会の存続や存在意義、
あるいは将来(教育効果)に対してマイナスの要素が含まれる場合には、

その発想(アイディア・作品)の実行や実施、
表現や展示には抵抗する権利がある。

それは正当な権利で、当たり前の作用である。

だから、
そこには「無制限の自由」などあるはずも無い。

人間の発想力が生み出すものには、
歯止めも限界も判定・評価もないという事と、

それを形にしたり、実行に移したり、展示することが、
許されるか否かという実際面の物理的限界は別である。

自ずとそこには敷居があるし、
関門があるし、評価や許諾がある。

次元が違えば審査の可否があるのだ。

わかりやすく例えるならば、

全裸で通りに飛び出して「表現の自由」を主張しても、
直ちに警官に捕まるだけで表現活動はすぐさま強制終了させられる。

要するにそういう事なのだ。

本来、人間が持っている自由(属性としての自由)と、
それを社会の中で表現する事は、意味が違う。

その意味で、
社会の中に「絶対的な表現の自由」などは存在しない。

自由に表現したければ好きな者同士、
許しあえる者同士でひっそりと自費でやればいいのだ。

公金は使えない。

公金には自ずと「公序良俗に合致しているか否か」の歯止めが働くのが、
自然であり、当然であり、健全である。

これは自明の理だ。




「上皇天皇の肖像を燃やして踏みつける。」

あるいは、
「命がけの特攻隊兵士の愛国心を笑いものにする。」

東日本大震災の被災者や原発事故被害を揶揄する映像を流す。

さらには、
「事実無根の慰安婦」の像を設置して、
旧日本軍の悪行が事実であるかのように喧伝する。

そのことが、
自由な発想から生じた表現の自由のたまもので、

国や県や市から助成金をもらうにふさわしい活動であるという考えは明らかに間違っている。

日本国民の統合の象徴である天皇の肖像を燃やすことが、
日本国民にとって価値があるわけもないし、

戦争中に命をかけて国を守ろうとした多くの若者達の真心を揶揄し、

地震と津波、放射能の災害に傷ついた地域と人々をからかい、

ありもしない売春婦の薄汚れた歴史を事実であるかのように流布する。

それらが日本人にとって何の価値があるだろうか。

日本人の心にも、
国家の正しい歴史観にも、

ましてや、
子供達の眼差しにも全く寄与するものがない。

過去に展示が不自由になったとすれば当たり前である。

そのことに公的な施設や助成金を使う事などあり得ない。

公的な金を使うということは、
その活動の意図に賛同し、支援し、
援助維持するという立場を意味することになる。

まともな日本人なら、
どの作品をとっても価値を見出す事はできないし、

日本人のためにならないものを、
税金や市や県の施設を使って支援し展示するのは、

芸術であるかどうかにかかわらず、
自由であるかどうかにかかわらず、
市政・県政の本来的な取り組みとは言えないのだ。

ついでに言うと、
私は愛知県民ではないので余計なお世話かもしれないが、

為政者として市民・県民の公序良俗に資する展示かどうかを、
適切に判断することができないとすれば、

知事自身が自ら、
自分の手腕の“不自由さ”を展示してしまったことになり、

今後は彼にあまり期待するわけにはいかなくなるのだろうと、
他人事ながら心配になるのだった。


では次回もまた、
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