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貴重な能力

どんな作業や行動をするにも、
人それぞれに一定の敷居の高さがあって、

それなりの抵抗感や面倒くささ、
億劫さや苦手意識というものが付きまとうものだ。

そうかと思えば、
長い間、 何気なくやり続けてきたことは、
そういう意味でのやりにくさや心理的抵抗感が薄らいでいて、

億劫さや面倒くささも特に感じることなく、
苦痛や難しさもあまり気にならなくて、

いわゆる「敷居を低く感じて」できるもので、
難なく実行したり、取り組んだり、こなしたりが容易である。

それを普通、「慣れ」とか「習慣付いてる」、
あるいは「癖」などといっているが、

一度、慣れてさえしまえば、
かなりの困難な作業や煩雑な仕事、
或いは、めんどくさい取り組みでも、

人は難なく、容易に、そして、気楽に取り組めるもので、

これは誰にでも備わっている不思議で貴重な能力と言うことができる。

例えば、
日に7〜8時間もバイオリンやスケートや卓球の練習をしたり、
座って陶器に絵付けをしたり、息を殺して漆を塗り続けるのは、

普段からやりつけていない者にとっては地獄の苦行となるだろうが、

やりつけてる者にとっては何のことはないいつもの作業で、
苦も無く続けることができるものであったりする。

そういう意味でこの「慣れる」という能力はとても貴重で、

望ましい習慣や取り組みを身に着けるためには、
誰にとっても願ってもない大切な手法となり、

躾けや生活習慣付け、作法や技術の体得といった場面で、
意図的に活用しない手はない。

ただしかし、
この特別な能力の特性は、良いことばかりに働く訳ではない。

敷居が低くなる分だけ、
反面、簡単にはやめられなくなるというリスクも背負うことになる。

そのため、
考え方や使い方次第で活用の範囲も広くメリットも大きいが、

デメリットも強烈で、ある意味しつこく、
消し去るのに大変苦労するものでもある。

その点で悪名高いのはアルコールやギャンブルであり、

その他にも薬物依存や暴力的傾向といった行動にも、
強固に作用する。

そういう場合は普通「中毒」という言われ方に変化し、

一度身についてしまうと敷居が低くなり、
やめるのには逆にひどく苦労するばかりか、

ものによってはやめられなくなって人生を棒に振るような、
地獄を見る結果にもつながる危険性があったりする。

だからこの独特の能力はその生かし方次第で、
人生を何倍も楽で豊かで快適なものにもするが、

反面、地獄を味わい、苦しみもがき、
悲惨な末路へ導くことにもつながる「諸刃の剣」ともなる。

子供を学習の習慣やスポーツの技能習得に向かわせるにはとても有効だろうし、

各種芸術の才能を磨かせたいと考えた場合、
この能力の効果は絶大である。

最初は嫌がってグズッた子供であっても、
少しずつ長い間続けていく内に抵抗感も次第に薄れ、

何かのきっかけで面白さを見つけようものなら、
加速度的なやる気にもつなげられるものである。

勿論、子供だけでなく親だって、
やりたいと思ってもなかなか取り組めなかった事柄に、

この力を利用して少しづつ自分を仕向けることもできる訳で、
なかなかに使い勝手のいい能力であると言えるだろう。



また、
この力は身体的・技能的な面だけでなく、
気づかぬ内に精神的な傾向考え方のパターンにも強く作用する。

長期間、繰り返してきた思考や価値観の癖も、
いつの間にかパターン化してしまって、

社会を見る視点のスタンスそのものが、
気づかない内に形骸化し、

錆びつき、固定化してしまうなんてことも起こってくる。

だから、応用の仕方次第によっては、
生活や学習の習慣ばかりでなく、

面倒だったり、疲れ切っていたり、臆病なために、
願うだけでなかなか取り組めなかった夢の実現などにも、

逆に自分を奮い立たせて、
向かわせるように賢く応用することも可能となるのだ。

実際に私はこの力を使って自分の夢の幾つかを、
なんとか実現にまでこぎつけることができた。

口幅ったいことを言うようだが貴方にも、
もし胸の奥に仕舞いこんだ大切な夢が今も輝いているなら、

是非とも「今さら」などと言わずにこの力を信じて、

夢の実現を少しずつ目指してみることを、
この際、お勧めしたいと思うのである。


次回もよろしくお願いいたします。<(_ _)>

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見えない轡(くつわ)

彼の国とその国民のデタラメな振舞いについて、
何か言おうとすると、

この頃はすぐに「差別」だ「偏見」だ「ヘイト」だと言われそうで、

言おうとする前についつい自己規制して、
すっかり言わずに我慢する癖がついてしまっている。

しかし、
そのこと自体が相手による予め仕組まれたやり口であって、

まだまだ出来るだけ上品に振舞い、
あからさまな批難などはできればせずに済ませたいとする、

気弱でおとなしい大半の日本人にはそれが有効に働き、
言いたい事の半分も言えず、言わせず、口ごもり、

湧き上がる怒りや不満にも、
「自分さえ我慢すれば。」
「多少のことはお大目にみてやろう。」

あるいは、
「発言は、出来るだけ控え目にしたい。」といった、
余裕や慎重さ、優しさや優柔不断によって、

思いが十分に表現されないままに、
いつしか立ち消えにされてしまっているのである。

正しくは「差別」ではなく、あくまでも「区別」なだけであり、
偏見」ではなく、「事実を単に指摘している」だけなのだが、

それでもすぐに「ヘイト」だとレッテルが張られ、
自由にものが言えなくなる」ように仕向けられてしまう。

しかし、ネットの普及で、
今まで知られずに済まされてきたことが次々と晒されて、
我が国の国民の大半にどんどんバレてしまい、

今では度重なる振舞いに嫌悪感を募らせ、
新しくそうした感情を表す「嫌〇」という専用語も生み出され、

ようやく、
接する場合はできるだけ注意を払へと囁かれるまでになった。

こうした傾向はけして今に始まったことではなく、
終戦の混乱期以前から度々あったことなのだ。

近年だけでも、
繰り返す反日的教育や日本を貶め辱めるメディアや文化人。

根拠もなく賠償金をたかろうと、
いかがわしい像をいくつも建てる慰安婦や徴用工問題。

あるいは、
無用な武力衝突を招きかねない、
今回の火器管制レーダー照射のお粗末な対応。

また、
長年繰り返されてきた農産物の新品種の盗み出し。

・ブドウ(日本農研機構、シャインマスカット)、
・イチゴ(愛媛県、レッドパール)、
・甘柿(福岡県、秋王)、
・ミカン(日本農研機構、みはや・あすみ)、
・ジャガイモ(北海道大学大学院農学研究院農場)等々。

農家や研究機関が丹精込めて作り上げた改良品種を、
盗み出しては勝手に栽培し、

しらばっくれている間に、
日本に先駆けてアジア諸国へ売り込みをかけるような手口。

どれひとつとってもはらわたが煮えくり返る問題なのだが、
こうした被害は何一つまともに解決されたことはなく、

日本が嫌〇になるなと言われても到底無理な話なのだが、
何故かメディアはそうした事実を隠そうとするばかりで報道しない。

モグモグ・タイムに、
「〇〇産のイチゴの方が甘くて、美味しい!」なんて、
喜んでる場合じゃないのである。

逆に、
それでも日本が好戦的で、威圧的で、
思いやりのない態度を繰り返しているかのようなスタンスで報じ、

反省して、謝罪して、頭を下げ続け、賠償し続けることが、
人として当然であるかのような報道に終始している。

だがしかし、
こうした次第に悪化する国民感情の推移と、

「差別」とか「偏見」、「人権」とか「ヘイト」といった言葉が、
頻繁に使われはじめた経緯はけして無関係ではない。

それは、
言葉狩りを通した「見えない轡(くつわ)」だからだ。

もし,考え過ぎだと思うのなら、
事あるごとにいつも声高に「人権」だ「差別」だ「ヘイト」だと、
騒ぎ立てる主だった団体の顔ぶれを見てみるといい。

その後ろには必ず彼の国がらみの人脈と資金が、
見え隠れしていると囁かれはじめているではないか。

できるだけ日本人に「言いたい事を自由に言わせない。」

あるいは、
「特定の国や民族や団体を非難できない気分にさせる。」

「差別」で、「ヘイト」で、「人権侵害」で悪い事。】と意識づけて、
日本人に見えない「猿ぐつわ」をかませる役目を果たしているのだ。

さらには逆に、
差別病にかかったように目を皿のようにして重箱の隅を突き、

どうにかして「差別」を探し出そうとする気分の者達も出て来てしまっている始末である。

今、私は、
彼の国にもその北の国にも、中〇にも言いたいことが山ほどある。

しかし、もうあなたにもお分かりだろうが、
いまどきは人前でおおぴらにそんな事を話すことが出来ない。

そんなことをするとすぐに、
差別意識の強いヤツだなぁ!」とか、
そういうの、ヘイトって言うんじゃない!」という、
非難の矢が「お花畑」から飛んでくるからだ。

だから、
こうした状況や被害に気づいていない人とは、
軽はずみに非難さえもまともに話すことができない。

そういう場合には、
実体が「差別」であるのか単なる「区別」であるかを冷静にとらえ、

「偏見」であるのか「客観的事実」に基づいた判断であるのかを、
毅然として示すことで対応するしかない。

そして、
彼の国の劣悪さや愚劣さに気づいていても、
ただ出来るだけ遠ざかっているのが一番なのだ。

しかし、
その場合にも見分けることがなかなか難しく、
顔立ちや服装も中◯人よりもはるかに我々に似かよっていて、

昔からいたるところに紛れ込んで通名で暮らしているので、
区別することが意外と難しいのが現状なのである。





ヤケドしそうになった時に、
「熱ッ!」といって耳たぶをつまむ仕草は、

若い娘がするにはとても可愛く見えるものだが、
私はその効果については以前から懐疑的である。

また、
耳たぶがふくよかで大きいと「福耳」といって、
金運や人柄が占えるという風に聞いたこともあったが、

〇憲〇主党を率いる無能な枝〇氏の巨大な耳たぶを見てからは、
そうした考えも完全に捨て去ることにした。

では、
耳たぶはどういう時に役に立つだろうか。

そう思っていたら、
突如として「耳たぶ」が意外と役に立つという話を聞いた。

かなりの割合で彼の国の人間を見分けるために、
耳たぶの「有る・無し」が有効だというのだ。

これまでは、
日本式とは違った妙な礼の仕方や水の飲み方。

あるいは、
握手の仕方や料理の好み、食事を頬張る汚さといった、
良く知られた見分け方は頭の隅に置いていたが、

それよりも確実に、素早く、
「耳たぶ」が無いことで即座に判別ができるというのだ。

それ以来、
TVや雑誌で何度も確認してみたが、
確かにそれはかなりの確率で的中していた。

そのことに私は正直、
「日本にはやっぱり神様はおられた。」とさえ感じたものだ。

この頃はその事実をごまかそうと、
ネットでそれがデマであるかのような記事をわざと書く者もいるし、

髪型は、
昔から耳を出した方がスッキリとしたものであったはずなのだが、

この頃は男も女も耳自体を全部隠してしまって、
見えなくした髪型を流行らそうとしている節も見られる。

しかし、
そんなことで誤魔化し切れるわけもなく、
注意深く見ていれば分かってしまうもので、

この頃はTVでタレントが出てくるたびに、
私はすぐに耳たぶを探す。

そして、
斜めに切り落とされ、あるいは、溶け落ちたような、
頬に張り付いた耳を見るたびにチャンネルを変える。

しかし、
どこにチャンネルを変えようとそういう耳の人間が紛れていて、
既に日本はすっかりそういった社会になってしまってる事に、

今更ながら気づかされて慄然とするのだった。





こんな話は書く方も気分が悪いが、
読む方もかなり不愉快なことだろう。

しかし、全てが事実であり、

知らなければならない事は、
書かなければならないと思ったのだ。

私がこういう差別的な発言が好きな人間だと、
あなたに思われるとすれば本意ではないのだが、

今回は私もそれなりの覚悟を決めて書いた。

「日本人の親ならば、
 これらの事を知っていなければいけない。」と、

ただその思いだけで書いたのだ。

全ての〇〇人の出自があいまいで性悪でずる賢く、
日本を愛してなどいないとは言えないかもしれない。

<自分の国が頼りにならないからと日本に潜り込んだのではなく>
日本を本当に大事に思い、
懸命に日本の為に生きている者達も確かにいるのだろう。

しかし、
日本の優れた医療制度や生活保護といった福祉に寄生し、

進んだ経済や文化の恩恵に首までつかって、
ただ楽に暮らすことだけを目的に日本に移り住み、

それでもなお差別と偏見にさらされてると被害者ズラしながら、
権利を主張し続ける者達をそのままに許す訳にはいかないのだ。

知ったからといってそれを顔に出すことはできないし、
その必要もない。

ましてやそれを人前で「言葉」にすることなど到底できはしない。

しかし、
知っているのと知らないのとでは、
社会事象の見え方は確実に違ってくる。

TVのCM一つ見ても、
それが違って見えてくるのだ。

私はあなたにこの知識で、
ご自分の家族を人知れず賢く守ってほしいと思うだけである。

もしも、
私の言うことが誇張で、でたらめで、
根拠がないと思うのならば、

ご自分で納得のいくまで調べてみられるといい。

そうすれば、
ここに書かれたことは事実のほんの一部でしかないことは、
すぐにでもわかるはずである。




別件だが、
12月中旬に、突然、ヨドバシカメラから電話が来て、

「今月、PayPayで14万円余りお使いになったお取引に、
心当たりがありますか?」と尋ねられた。

私は、
「いいえ、PayPayのソフトもダウンロードしていませんし、
全く使っていません。

今月使用した記憶は、・・・・くらいです。」と、
記憶を辿って詳しく答えると、

「わかりました。それではすぐに記録を削除して、
カードを再発行しますので3週間ほどかかりますが、

その間、ご不便をかけますがお待ちください。」と言われて、
電話は切れた。

PayPayは最初から胡散臭いとは思っていたけれど、
やはりかねてからの噂にたがわぬ代表者(?)らしく、

そのやり方にどこか品のないエゲツなさが感じられたものだが、
結果、顛末はやはりそれなりにしかならなかったようだ。

少し考えれば、
はなからそんなことは分かることだったのかも知れないが、

改めて、日本という国が、
盛んに食い物にされているという事に気づかされる思いだった。


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役に立つ年寄り

私は、役に立つ年寄りになれるだろうか。

若者が何か不安に思った時に、
「意見を聞いてみようか。」などと思ってくれるような。

あるいは、
一緒に居てくれるだけで安心でき、
何もキツイことなど言わずいつも黙って見ている。

押しつけがましくなく、説教がましくなく、
なにか飄々としていてマイペースで、

余計なことを言わず黙々と手を抜かずに働き、
しかめっ面などあまり見たことがないような。

そして、
イザという時に、黙ってさっと手を差し伸べてくれるような。

少しは役に立つ年寄りになることができるだろうか。
(人によって好きな「年寄り」像には、幾つかのパターンや好みがあるとは思うが、、。)

それとも、
ただ年上だというだけで、
経験が多少あるかも知れないというだけで、

年下と見るやいきなりタメ口で話しかけ、
やたら分かったような顔つきでいることも多く、

特に気が利いているわけでもなく、
どこか苦労人であるかのような口ぶりで、

いつもほとんど上目線でものを言い、
得体の知れない自信を持ってる、

年をくっただけの年寄りになるのだろうか。
(これは、私が好きになれない年寄り像である。)



人は、年を取ってから急に、
周りから頼りにされるわけではない。

素敵な年上の人というのは、
若い頃から少しずつ人間的な成長を重ねていって、

結果、
人格が磨かれて自ずと人徳が身につき、

それが良い雰囲気となって、
他人からアドバイスを求められるなんてことに繋がるに違いないのだ。

その意味で、
「40を過ぎたら自分の顏には責任を持て。」という言葉には、ある程度の真実はあるのかもしれない。

長く生きれば生きただけ出会うトラブルや苦悩も多くなり、
悩む度に必要な知恵や忍耐を痛感させられるもので、

叶わぬ願いや届かぬ夢に現実の虚しさや無力さをかみしめ、
ゆっくりと時間をかけて忍耐強く、思慮深く、賢明さを増していくのだろう。

そういう過程を経て、
人はやがて「役に立つ年寄り」となっていく訳で、

その日その日を、
その場その場を、
さほどの自覚や思慮も無く、

行き当たりばったりの運任せに生きてきただけの者には、
何を相談してもそれほどたしになる答えなどは返ってこないのが常である。

だが、
単純に「苦労」さえすれば、
自然に心に叡智や人格が積み上がるというものでもなく、

役に立つ年寄りになるためにはそれなりの手立てがあって、

「心に描く理想の人物像」というか、
自分をどうデザインするか。」という、
一人一人にその人なりの美学が必要となるようなのだ。

自分にとって、
敬愛し、憧れ、信頼できる人物像とはどの様なものであるか。

爽やかで、嫌味のない、清々しい、
誠実で、軽やかで、おおらかな人柄。

そうしたなりたいと望む思い描く理想の姿がなければ、
到底そこへと近づいてはいけない気がするのである。



いつの頃からか私は、
「人間は、年と共に精神的に成長し、
豊かな人間性を獲得していかなければならない存在だ。」と規定していた。

そのために日夜、
こざかしく、知ったかぶりで、

こずるく、狭量で、

不寛容で、不親切で、

不作法で、面倒くさがりで、

ぞんざいで、意地汚く、

欲張りで、我がままで、

目立ちたがりで、いい格好しいな自分を、

恥ずかしく思い、たしなめ、
戒め、叱咤し、是正しながら、

少しでもましな人間にならなければならないと、
思い続けてきた。

そうしたプレッシャーがいつもかかっていて、
心の中で「理想とする人物像」を、
少しづつ訂正を重ねて磨き上げては追い求めてきた。

そうやって常に彼とのギャップを意識することで、
日々を過ごすしてきた気がするのだ。

逆に、日々、自分の人間性に思い悩む事なく、

言いたいことを言い散らかし、
ただ快適に気分良く過ごすことだけに執着して、

小賢しく他人を出し抜く技にますます磨きをかけ、
長いものには巻かれることが知恵だと言い張り、

厚かましい小狡さを「歳の功」だと強弁しながら、
不確かな武勇伝を披露する機会をいつも待っている、

そんな惨めな年寄りにだけはけしてなるまいと心に決めていた。

私の言ってることは、きれいごとに過ぎるだろうか。

これを全ての人に求てはいけないのかもしれない。

しかし、
長く生きたなりの甲斐ある人物になりたいという思いは依然として強く、
そう願ってきた事は事実なのだ。

しかし、考えてみると、
これは年寄りだけの問題ではないのかもしれない。

年寄りだろうが若者だろうが、
心に理想とする憧れの人格像を秘めていなければ、
人は伸びてはいけない気がするのだ。
(生まれつき優れた人間性が備わっているという稀な人は別である。)

だから、
心に惚れ惚れするような理想的な人物が訪れて住み着いてくれたなら、
彼は我々の心の成長をきっと導いてくれることだろう。

それは、実は恵まれた試練で、
ひどく幸運な事なのかもしれないのだ。

特に誰かに頼りにされる予定があるわけではないが、
年をとっても少しも役に立つ年寄になれないのなら、

早死にした方が社会のタメだとさえ本気で思っているくらいである。

今、あなたの心の中には、
素敵な人物像が住み着いているだろうか。

もし、
その人物の要求がひどく厳しいと感じたとしても、

それはそれだけあなたを格段に素敵な人にしてくれようとしているのだと考えて、

精一杯頑張るしかないのである。

人の生き方は様々で良いのかもしれないが、

少しは頼りになる、
役に立つ年寄りになりたいと思い続けて、
私は生きていたいのだった。


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「情弱」の責任の所在

「情弱」とは、情報弱者のことで、
「情報資源に満足にアクセスできない。」

あるいは、
「情報を充分に活用できない人。」を指す俗称である。

コンピュータやインターネットが発達・普及している
現在の高度情報化社会においては、

得られる情報の量や質の差が、
社会的、経済的な格差を生みやすい。

この格差は、「情報格差」などと呼ばれる。

この格差において不利な側に位置する人が「情弱」と呼ばれる。
 
なお、これまでは、
ITインフラの整備度合いなどが、
情弱であるか否かを左右する大きな要因となっていたが、

最近では、インターネットは利用できるものの、
ITリテラシーが低いために自分で検索を行わず、

Q&Aサイトや電子掲示板などで
初歩的な質問をするようなユーザーに対して用いられる場合も多い。
                 〈※weblio調べ〉



1980年代になって、
NECのPC9800やPC8800シリーズが発売された。

マッキントッシュもまだ高くてなかなか手が出なかったけれど、
素敵なデザインの扱いやすいPCの販売を始めた。

時を同じくしてTCP/IP接続が標準化されて、

一般家庭をISDNや電話回線でネットへ接続してくれるプロバイダーが、雨後の竹の子のように次々と出始めた。

ネットに関わるそうした波が起こって社会に広がったのは、

今から丁度40年ほど前のことで、
その頃が、ある意味で分水嶺となった。


現在、携帯のSNS利用なども含めると、
「日本国内でのインターネットの人口普及率」は、
すでに80%を優に越えていると言われるが、

資料によると、
やはり60歳を境に急に利用率は下がっていて、

その人口(60歳以上)約4300万人から考えると、
およそ1700万人(40%)がネットにほとんど関わっていないことがわかる。

その数は、全人口で考えると、
実に14%にも上っているのだ。(7人に一人の割合)





弱者」という言葉からは、
どことなく、力なく、虐げられているという感じがしたり、

本人の意志に関わらず不当に扱われ、

自らの力では如何ともしがたい状況に置かれているという感じを受ける。

まさに、
大手新聞や週刊誌の政治的スタンスを鵜呑みにし、
TVのワイドショーで切り取られる話題くらいにしか興味を持たず、

コメンテーターと呼ばれるアルバイトや、
「解説」・「論説」などという大層な肩書きの者達の言うことを真に受けて、

報道する側の意図のままに物事を受け止め、
印象や善悪の基準を好きなように操作されて暮らす人々のことだ。

だから、
あれやこれやも知らず、
あのことやあんなことにも全く気づかぬままに日々を過ごし、

その結果、
一朝、選挙になった時には、
普段から現状を誤解させられているために、

重要な政策や大切な政治家を見誤り、
植え付けられた印象で物事を判断して、

自信を持って真っ当な政治を阻止する側に、
回ってしまうようなことも起こり得る。

実は、私は最初、
ここにそういったネットの世界ではもはや常識となっていることを列挙してみた。

しかし、
一度書き連ねたそれらの事柄は、やはり削除することにした。

何故なら、
ここは元々そういう趣旨のブログではないし、

政治的立場や社会状況の判断は、
あくまでも一人ひとりの責任においてなされるべきだと考えているからだ。

社会から何を探り、錯綜し氾濫する情報の中から、
何を手繰り(たぐり)寄せて状況をどう捉えるかは、

まさに、
一人ひとりの責任においてなされるべきであると信じてきた。

しかし、
毎朝、玄関に差し込まれる新聞の善意を信じて疑わず、

作業場に流れるラジオをBGMのように聞きながら毎日の仕事をし、

リモコン一つで切り替えてワイドショーをハシゴする人々が、

そんな風にして世の中や世界の動きが分かった時代は、
悲しいけれどもうとうの昔に終わってしまっているのだ。

そういう生活のモデルはすでに裏切られてると知れ渡っていて、
多くの場合、危険でさえある。

では、
そういった時代の流れに置いてきぼりにされていることに気づかず、
「情弱」と陰口をたたかれる人々に対して、

誰が手を差し伸べるべきであるのだろうか。

つまり、この問題はすでに、
国民の一人としてどうふるまうべきかという問題になりつつあるのだ。

キーボードやネット接続が苦手で面倒だという理由で、
国民の17%が政治をまともに理解できず、

結果、まともな政策の実現が遅れ、
国の施策が著しく阻害されるとしたら、

もはや上から目線で気の毒だとか可哀そうだとか、
遅れているだとか言い続けている場合ではなくて、

そういう社会の構成員の一人としては、
無作為の罪となりつつあるとさえ感じるからなのだ。

自分の国の国民の7分の1がまともな情報の流れから取り残され、

不見識な者や独善的な者、
或いは、反日的思想を持った者達に、

好き放題にかき回され蹴散らされているのを、
ただ見下ろして嘲笑していていいものだろうか。

「差し当たって自分には支障がない。」と無関心で、
高みの見物を決め込んでいる場合ではないはずなのだ。

チコちゃんは、終いには切れて、
「ボーッと生きてんじゃネエよ!」と叫ぶ。

その言葉は、いったい誰に向かって言ってるのだろうか。

最初は、私も「情弱者」に向かっての言葉だろうと思っていた。

しかし、よく考えてみると、
誰が好き好んで「ボーッと生きたい。」など願ったりするだろうか。

私にはその言葉はもはや、
「情弱」を笑いものにしながら捨て置く者達の方にこそ浴びせられていると感じるのだ。

本来的な「責任」というボールは、
すでに私達の側に渡っていて、

家族や知り合いの中にいる情弱層をいつまでも放置している者達。

「ボーッと生きてる」のは、
既にそうした無為な者達の側になってしまっていると思うのである。

折しも今日は「文化の日」で、
自由と平和を愛し、文化をすすめるための祝日」であるという。

ならば、今回のテーマは、
少しはそれにふさわしいのかもしれないと思ったりもするのであった。

  ※参考資料:総務省・平成30年度情報通信白書
        ・「インターネットの利用動向」
          必要なページを御参照ください。
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/pdf/n5200000.pdf


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"粗食"のススメ

私達の直接の祖先である「現生人類」がこの星に生まれたのは、
二十万年程前であると言われている。

その後に農耕文化が始まったのが、
今からわずか数万年ほど前に過ぎないとすれば、

祖先はそれまでの十数万年の間を、
長いこと自然物の採取という狩猟中心の生活を送っていたことになるわけで、

そのことは今の私達に全く関わりがないことではない。

その時代、
男は野獣に怯えながら岩山の洞窟に住んでいて、
かき集めた干し草の上で寝起きしている汗臭い猿のような存在であっただろう。

そして、
木の実と草くらいしか食べる物にありつけず、
時たま手に入るわずかな魚や小動物の肉を楽しみに、

何世代も、何万年にも渡って、
やっと命をつなぐような食生活を送り続けたことだろう。

そのため、男の体の組成は、
そういう生活が何世代も続く間に自然環境に適応していき、
次第に形作られて最終的な完成をみたもので、

それが今の私達の体の組成の基礎となっていると考えるのである。

つまり、私達の体質は、
そうした厳しい食糧事情の中で長く何世代も過ごす間に、
根幹を創り上げられ、

何万年もの間に粗末な食生活に適応することで出来上がってきたもので、

現在のような豊かな食事ができる環境になったのは、
体質にとってはそれほど昔からのことではないはずなのである。

また、
私達から現代の文化・文明の恩恵をはぎ取ってしまえば、
本質的にはその時代の者達とそれほど大きな違いがないことは明らかで、

いつも思うことだが、
私達はマッチ一本、皿の一枚も一人では満足に作れはしないし、
狩猟生活だけで生き抜いていくことなどとてもできるはずもないのだ。

さらに言えば、
体力的には同じどころか、
その時代を生き抜いた者達の逞しさが今は失われているくらいで、

自分一人では何一つ満足にできないという意味では、
十数万年前に生きた存在と私達がそれほど大きな違いが有るわけではない。

そういった生きる上で厳しい時代からはすでに十数万年の時が過ぎてはいるが、

一見、素晴らしく進化したかのように見える私達も、
実際には個人はそれほど大きく進化や発達をしているわけではなく、

そのため、私は常々、
その二十万年前に現生人類が誕生した頃に生きた人間の一人に、
自分をできるだけなぞらえて日々を暮らすように心がけている。

つまり、
私達は元々この発達した現代の文明社会に守られることで、
辛うじて生きていられるような脆弱な存在であって、

そのことは太古の昔からそれほど大きく変わっているわけではないのである。





以前から、
「病院食は、味気ない。」と何度も聞いたことがあった。

入院してみて、
確かにそれは本当だった。

栄養士さんが毎食カロリーを計算してくれていて、
塩分も一日あたり6gというのが適量らしく、

彩りや温かさは保たれていたけれども、
全てのものに塩味が足りなかった。

専門家が細心の注意を払って作ってくれた食事が食べられるのは、
それ自体とても幸せなことだとは頭ではわかっていたが、

それでも、そのあまりの味気のなさに、
「これを喜んで食べろというのは、やっぱり無理だろう。」と、
正直言って、すぐに苛立ちさえおぼえた。

しかし、考えてみると、
それは「ワガママ」ではないのだろうか。

先ほど話したような過酷な環境に適応することで、
長い間に獲得されてきた身体のメカニズムに対して、

私達は普段、
あまり気にせず塩味の効いた多様な肉を食べ、

あるいは小麦や米を食べ、ポテトを食べる。

バターを塗り、ジャムをのせ、
チーズをはさんだ食事をする。

イクラを溢れるほど乗せ、
ウニを食べ、マグロを食べ、 

シャブシャブやスキヤキをたらふく食べ、
ビールを飲み、ワインを飲み、
〆と称してラーメンをすする。

その上で、
「私も、健康で長生きがしたい。」などと平気で言うのだ。

しかし、
それではどこかおかしくないだろうか。

確かに病室では、
醤油もソースも食器のシミのようにしかかかってこないし、
栄養士さんは血圧のためにプライドをかけて極限まで塩味を減らそうとする。

カロリーは必要最低限を維持していて、
患者はその味気ないけれども飽くなき善意の追求に、

感謝こそすれ憎しみを抱くいわれなど元々ないはずなのだ。

それなのに、
「病室にいなければ今頃はジョッキ片手に、
 賑やかに食べ飲みしてることだろう。」と何度も妄想を繰り返し、

今までの食生活とあまりに違うからといって、
「味気ない」と一言で病院食を片付けるのは間違いではないのか。

病院の食事に体の適応力が触発されて、
確実に反応した結果なのだろうが、

たった2週間の入院で
ろくに運動もせずに私は約7キロもの減量ができた。

入院当初は、食事の量が物足りなかったが、
次第に丁度良くなり、
最後は心から今までの自分の食生活について反省させられていた。

その点、妻は栄養士ではないので、
カロリーのことは詳しくはない。

日々、
苦労しながら食事の用意をしてくれている。

しかし、
私のわがままと好物と気まぐれな食欲に配慮するために、
身体に適した食事になどなるはずはない。

つまり、
退院してまた妻に面倒をかける食生活に戻る訳だが、
すぐさま元の体重にもどっていくことになるのだろうか。

それは、
好きな食べ物を好きなだけ要求する、
健康とはあまり関係のない気分次第の食生活に戻ることを意味していて、

私はいつしか、
そのことに一種の恐ろしささえ感じるようになっていた。





退院後にスーパーへ行って気がついたのだが、

食材ばかりか、味付けの目先を変える新しい調味素材が
あふれんばかりに並べられていた。

ご飯もパンもスパゲティも、
何種類もの味付けや彩りや組み合わせが工夫されていて、

なんとしても我々にたくさん食べさせないと、
気が済まないという気迫さえ感じるほどに多彩になっていた。

「さあ食べろ、やれ食べろ、もっと食べろ。」
「味を変えて、組み合わせを変えて、彩りを変えて。」

スーパーに長くいると、
「何も気にせずどんどん食べろ!」とばかりに、
どこからか声が聞こえてくるようでさえあった。

目新しい味付けと、
簡単調理と、
食がすすむ工夫が棚に眩しいほどにあふれていて、

何も考えずにいると、
おそらく数日で私は元の食生活と体重に戻っていく気がした。

入院生活で多少注意深くなったとは言え、
短期間に食習慣や食欲や嗜好が急に変わる訳もなく、

またコレステロールが増え、体脂肪が増え、
血圧が上がっていくことになるのだ。

そういう意味でも、
少しずつ「元の木阿弥」となるのは明らかだった。





ではどうすればいいのだろうか。

まずは、
必要以上にカロリーを取り過ぎていることに早く気がつくべきだった。

年齢や活動量によって、
一日に必要なおよそのカロリー量はすでに明らかになっている。

美味しいとか好物だからといって「お腹いっぱい食べる。」という、
子供の頃からの「悪しき感覚」は捨てるべきなのだ。

どこの世界に、
何万年という身体組成の成り立ちに合わない食物を、
好きなだけ食べて健康なままでいられる生物がいるだろうか。

肉が好きで、チーズが好きで、
ワインが好きで、ポテトが好きで、

ラーメンが好きで、魚卵が好きで、
スキヤキやシャブシャブが大好きで、

その上でさらに「健康」にもなろうなんて土台無理な話で、
あまりに虫が良すぎるということにもっと早く気がつくべきだったのだ。





「粗食」という言葉は、
病院食のような食事に対してはあまりに失礼であるだろう。

なぜなら、
「粗」とは「大雑把で、粗末で質が悪い。」ことを表す言葉だからだ。

栄養士がついて完璧に計算された食事が「粗食」なわけはない。

しかし、毎日、
そうした食事を続けるのはあまりにストイック過ぎて息苦しい。

今の時代、
わずかな木の実と草と遠方から運ばれてくる岩塩の時代を想定して、
たまに魚や肉を食べるという暮らしを続けるのは無理である。

ただそれでも、
自分が元々体質に合わない肉やジャムやバターやチーズ。

そして、
塩分を好きなだけ摂取してるのだということを、
頭の片隅に置いておくことはできる。

また、
そういった食事は少し考えればわかることだが、
当然、体脂肪やコレステロールや血圧に影響する。

ならば、
自分の身体のメカニズムの原点に立ち返って、

食材の摂取量を考えながら暮らすことには、
少なからずメリットがあるだろう。

私は今、
この年になってやっと今後の食生活のあり方を模索している。

少なくとも、
好きなものを好きなだけ食べるという発想は封印した。

肉やチーズやワインやピザに満ちた日々は、
少しずつ変わっていかざるを得ないだろう。

世間では今、
”グルメブーム”とやらがなぜかいつまでもしつこく喧伝されていて、

美味しいものを探し出して食べ歩くことが、
何か素敵で気が利いているという風潮があるけれども、

私はこれからはそんな社会とは少し違った道をいこうと考えている。

粗食を「粗末」という意味ではなく、
あくまでも「現生人類の体組成」の基本に適しているという意味にとらえて、

食事についての考え方を少しずつ修正していこうと思っているのだ。

だから、余計なお世話かも知れないが、
これは家族全員の健康に関わる話なので、

あなたにも本当の意味で「身体に合った食事」ということについて、
少し話をしておきたいと思ったのである。


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